ありのまま物語集

ある朝も、ここへ来る途中に、自宅から最寄り駅の地下鉄東西線の妙典駅までの道のりを歩いてくるのですが、いくつかの自動車道を渡って向こう側へ行くという場所が4箇所ほどあるのですが、信号のない交差点、(皆さん信号のない交差点で横断歩道を歩行者が渡ろうとしている時は、自動車はとまらなければならないし、横断歩道のない交差点や、その近くを歩行者が横断しているときは、速度を落としたり、徐行したり、場合によっては一時停止などをして、歩行者の通行を妨げてはいけないこと。これは交通法規(法38Ⅱ)(法382)なのですが、自動車という自動車、誰も止まって歩行者を渡らせてくれる自動車は1台もありませんね、欧米などは、以前、私が旅行でワシントンD.C.のウォーターゲートホテルの近くを歩いている時でしたが、アメリカ合衆国では必ず自動車は歩行者が道を渡るのを止まってくれます、どの車も必ず止まって、人を渡らせてくれます。こういう文化は、まったく日本に根付かないですね、実は私の活動のテーマである、人が人を思いやる街、市川を目指す者にとってこれは寂しいと言わざるを得ません

 さて、その道路を横切ろうとしていると私の前を学制服を着た女子高生が歩いていました。イヤホーンをつけ音楽でも聞いているのでしょう、左から車が近付いて来るのに歩く速度が変わりません、そのまま真っ直ぐに渡ろうとしました、私は「危ない、車が来るよ」と即座に話しかけました。別に当たり前のことをたまでですが、そんなこと皆さんもしているでしょう? でも私は必要なこと、その時気付いたこと、そうすることが良いと思われるたことは即座に躊躇することはある)実行します。

 問題はここからです。人間というのは、誰かに人間らしい対応をされると、とたんに人として目覚める、とこういう存在です。その女子高生も、それまで、イヤホーンをして自分の中に没入して道を歩いていた訳なんですが、私に危ないよと声を掛けられた途端に、私の存在を意識し、自分がされたことの意味に気付いたのがこちらに伝わってきます。車を行きやると、ゆっくりと速度を落として、先を急ぐ私に道を譲るかのように軽く頭をたれて、先に行かせました。

彼女が本当はそれをどう思ったのか?それは、彼女に聞いてみないとわかりません。

しかし、少なくとも、車にぶつかる危険は避けられましたし、女子高生との間に穏やかな空気が流れたことは紛れもない事実です。

このように私は日々、ちょっとした物語を生きて毎日を過ごしています。

人との出会いがあり、人間とのかかわりの楽しさを感じながら生きていす。

 

May I help you? そう生きることは、日々人との出会い、物語の中を生きることなのです